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英蟯虫:1993:
Date 1993/X.
■ミュンヘン一揆■
ミュンヘン一揆と書くよりミュンヘン・プッチと書いた方がピンとくると思う。
ミュンヘン・プッチの意味がわからないあなたには一般常識が無いと言える。
(それが良いか悪いかではなく事実なのである)
昔はそんなにアルコールに依存せずとも生きていく事が出来た。
毎日毎日資本家に労働を提供し賃金を搾取されて蛸部屋(別名便所部屋)に帰って
風呂上がりにせいぜい500mlの缶麦酒一本飲むのが関の山であった。
それがミュンヘンに半年間幽閉された頃には一日平均5リッターくらい飲める様になっていた。
朝は勿論飲まないが昼食・夕食前、夕食それからまた深夜・・・全て麦酒・麦酒なのである。
醸造用アルコールや米等が混ざっていない本物の麦酒なのでこれまた美味いのである。
ドイツの麦酒の美味さは格別であるがベルギーにもそれくら美味い麦酒醸造所が沢山あり
また東に行くとチェコで無茶苦茶美味い麦酒が飲める。
世界は広いのである。
マリエン広場の裏を徘徊して穴蔵みたいなビア・ホールを梯子した。
なんとか劇場
裏道
裏道
裏道
飾った窓:飾り窓ではない。
ヒトラーが初めて大衆演説をしたと言われるHofbrauhaus(通称HB)のSpeisenkarte(メニュー)の表紙
*ここにも良く通った。
ノルウェーの林:第4章からの抜粋
僕は欧州に憧れたり、自腹を切ってまで欧州を旅する人々とは違って、欧州には何の興味も無く、ドイツは問題外で、特にインドとの絡みでイギリスは大嫌いだった。
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