2006年5月:或る女性のうなじに見とれて感じたこと。
ほんの一昔前には茶髪やへそピアス等が許せなかった。
そんなことをワザワザする人間や人種が好きになれなかった。
(今でも同類項だとは思わないが)
でも今では許容範囲内というかそれはそれ、これはこれ、とあまり気にならなくなった。
そう言えば、昔実の親父がどこかの温泉での宴会で
芸者衆と下衆な芸を披露した時の写真を見てしまい、
(親父を含めたそんな世界に属する人やそんな空間を)軽蔑し唾棄すべき存在だと思った時期が少しだけあった。
当時の親父の歳に近づきつつある現在、よく考えたら
同じ様なことをしている。
時には馬鹿になり切る必要もある、ということが近年わかってきた。
昔は猥雑な路地のその奥にある何かワクワクさせてくれるモノに惹かれた。
駄菓子菓子、その先にあるモノの種類はそんなに多くない。
・食欲を満たすこと。
・酔っ払うこと。(咆哮したり、歌ったり、踊ったりも含まれる)
・性欲を満たす(排泄する)こと。
・暴力や博打(ギャンブル) [犯罪行為も含む]
・後は薬(合法・非合法各種)くらいか。
ワクワクを期待する気持ちの裏返しにはどこか怖いモノ見たさの気持ちがある筈である。
それは倫理面への反抗であったり、少しだけ悪い事をしてみたい小さな冒険心への憧れであったり
しないだろうか?
”ちょい悪”親父みたいな言葉も流行っているが、みんながみんな映画の中のジャン・レノ
みたいな本当の悪党になってしまったら社会が崩壊するかもしれない。
だから”ちょい悪”親父はただのガス抜きだ。
(それが良いとか悪いとかの話ではない)
ただ、少し崩れた格好の衣類をまとったりバイクに乗るだけで”ちょい悪”になる、
という発想はなんだか仕掛けられた罠にはまっているだけの様に思える。
(罠を仕掛けたつもりになっているのは発想が貧困なマスコミ関係の人間である)
私が尊敬するのは全方位的に見て”品行方正”な人である。
冗談抜きでそんな人が結構存在する。
(勿論自分はそんな人ではない)
[つづく]