2005年11月:離婚される女たち

勿論数は多くないが身の回りに”離婚した”女ではなく”離婚された”女の人たちが結構いる。
どちらかと言うと”離婚した”女の人の数の方が”離婚された”女の人の数より多い様な
気がするが自分の知る限り大半が”離婚された”女の人たちである。

あまり詳しくは書けないが彼女たちにある種の共通項を感じる。

離婚という履歴に関してそれが良いとか悪いとか論じる気も無い。
ただそうした事実があるだけだ、と思う。

まぁ離婚というものは何時なんどき我が身に降りかかるかもしれないので、この話題は敢えて
ここでこれ以上触れるのは止そう。

 

【黙祷】

 

それにしても最近の雑誌のトレンドは

1.成人病(生活習慣病)と年金と老後のこと。
2.グルメとブランド
3.不倫とセックス・レス

これらのことばかりで記事が交錯し矛盾を感じることばかりである。

と話を逸らしておく。

 


二十一世紀の現実

我々は高校生とフリーターの時間当たりの賃金差が100円である今の世の中に生きている。
          
資本家から見たらフリーターも高校生も労働者として搾取するだけの対象であり、
その差は100円しか認めていないのである。

でもまぁ資本家から見たら時給700円も2000円も大差はないのである。


駄菓子菓子、
資本主義の本家の現実はその実もっと厳しいのである。
少し前は”求む!皿洗い $3.75 per Hour”という貼り紙がしてあったが、
今日久々にハビエルと件の中華バッフェに行くと”ホステス”を募集していた。
皿洗いより少しだけ賃金が上がり時給$5.25であった。
今のレート118円/US$で計算すると。
  皿洗い $3.75 =>時給442.50円
  ホステス$5.25 =>時給619.50円

少し前に隠れ家に新聞配達の求人広告が届いた。
概算で時給1,000円であった。
早朝に勤務するのと休みが滅多に無いのが新聞配達の難点である。
それに一日当たり2時間くらいしか働けないのである。

 

 件の中華バッフェの開店当初は例のナンシーが居たりでまだまともな人が働いていた。
 ナンシーは看板娘になったかと思うと大陸から来た実の母親を伴ってNYCへ移住した。
後に残った中国人達の態度の悪いこと。
いつも事ある度にオーナーの娘(大抵はキャッシャーに居る)にクレームをつけていたが改善はされなかった。
大陸の村から娘がやって来れば来るほど態度の悪い中国人が増えた。
 (かって上海の商店で感じた態度の悪さと同じである)
その娘の兄(つまりオーナーの息子)は一番態度の悪い、大陸から来たばかりの娘と
外の駐車場で真昼間から乳繰り合っていた。
そんな昔のことを思い出しながら額縁に飾られたナンシーの顔を見ていた。
ハビエルが唐突に「彼女の名前を覚えているか?」と聞くので
すぐに名前を思い出し「ナンシー」と答えた。
同性の名前はすぐに忘れるのに異性の名前はずっと覚えているのである。


トラウマ:だから今でもパンを見ると食欲が失せる。

左巻きの教職員組合の組合員(つまり小学校の教諭:当時の管轄は文部省)の
田舎ではその実、地方の国立大学の教育学部を出て教師になった連中の
大半は地主の子供たちであり搾取する側の連中であった。
そんな連中がネジを左向きに巻かれて平気で矛盾したことを吐いていた。
(連中の給料の原資が全て税金だという、これまた腹立たしい現実なのである)
一例を挙げると「人類は平等、世界は平和」等々偉そうにガキ相手に喋るのであった。
当時はヴィエトナム戦争で北爆の真っ盛り。
そしてカンボジアでは”キリング・ザ・フィールド”の頃。
小学生だって新聞の見出しを眺めているだけで連中の言うことの大半が真っ赤な嘘であると
お見通しなのである。

はっきり言って当時の学校給食は不味くて食べられたものではなかった。
美味しかったのは鯨の琥珀揚げやうどんくらいのものであった。
テトラ・パックに入った牛乳は生ぬるく最初からゲロの味がした。
一番酷かったのが塩パン。
見るだけで胃が口から出そうになった。
糞不味い塩パンにバターならまだしもインチキなマーガリンやインチキなチョコレートやインチキなマーマレードを
塗って食べるのある。
ネジを左向きに巻かれた連中(特にメスの先生達)は給食の時間になると金切り声を上げ。
「世界中には飢えた人が大勢います。好き嫌い言わず全部残さず食べましょう!」とかまた矛盾したことを言う。
さっきお前「人類は平等で世界は平和」とか言ったぢゃんか?とか
「お前の家は庄屋で小作から年貢の上がりを巻き上げていたんとちゃうんか?」
とか思いながら、その糞不味いパンを口に入れるフリをしながら喉元からシャツの中へ落としていた
素直な僕ちゃん。
今だから書くが当時からバレバレだったのがその糞不味い塩パンの原価がたった1円なのに
我々は帳簿上10円も払わされていた。
そのパン屋で働いていた人も搾取されていたのだと思う。
そのパン屋の名前はイズミヤパンと言い、当時地元では大手のパン屋に属した。
当時は小学生であったがそんな事実を知っていたため余計にネジを左向きに巻かれた
嘘つき連中のことは軽蔑していた。

黒パンが食べられる様になったのはつい最近のことである。


おにぎりと比べることもできないが近年の僕ちゃんは辛抱ができるようになり
人間として少しだけ進歩した。
早朝に朝マックとか食べてそれなりに美味しさを感じることができる様になったのである。
まぁ、ハンバーガーもおにぎりも似たようなもんだ、と割り切れることが出来る様になった。

食育だなんだとまた左巻きの連中は偉そうなことを言っているが、
これ以上不幸な連中を増やさないで欲しい、と切に願う。
不味いモノは不味いのである。
無理矢理食べてゲロしたり残さず食べて全て雲古にしてしまっても結果は同じなのである。
ガキ相手に威張り散らして嘘ばかりついている大人は今でも大嫌いである。





殿様の本屋

昔深夜に殿様の本屋に行くと必ず栗駒山出身のS君小説を立ち読みしていた。
栗駒山出身のS君が立ち読みしていたのはエロ本ではなくいつも
ハードボイルド小説なのであった。
そしてようやく目的の箇所を発見するとにたっと笑ってこう言うのであった。
「へへへ、今週は三つも見つけたぜ。へへへ。来週もいいことあるかなぁ?」(実際は独特な東北弁であった)

そう彼はハードボイルド小説の中で放尿を描いた情景ばかりを好んで立ち読みしていたのだ。
中でも立ち小便だとわかる情景がベストだと言うのだ。
読書にも色々な形があるもんだとその時思った。

その栗駒山出身のS君はある授業でNHK特集か何かのビデオを見せられた翌日に学校をやめた。

後日、深夜に殿様の本屋で栗駒山出身のS君に再会した際に学校をやめた理由を聞くと
「おっかねぇ、おっかねぇ」を繰り返すばかりであった。

彼はあのまま学校を卒業してサラリーマンになることを体と心で拒否したのであった。

あの時見せられたビデオとは有名な富士通の「成果主義」や「研修」を特集したものであった。

当時思った胡散臭さはやはり拾年もしない間に現実のモノとなった。

「成果主義」だの「目標管理」だのは外見には聞こえがいいが現実はインチキの塊である。

いまだにからくりを理解できずに居る馬鹿な連中にヒントだけを与えてやろう。

  十人家族のための夕食として炊けるお米は一升しかないのである。
  次男が今日頑張ったから特別に大盛りにしてやろう、と母親が言う。
  その分誰かのご飯が減るのである。
  (勿論隣の家から炊きたてのご飯を強奪してきたりすれば話は別だが)

放尿と言えば、つい最近初めて一緒に一献傾けた或る男が、
二次会から三次会に向かう途中の某私鉄の駅のホームで長々と放尿を始めた。
その放尿は5分くらい続いた。
みんな見て見ぬフリであったがついつい反射的にシャッターを切った。
その間、栗駒山出身のS君の顔を想い出していた。



ハイヒールと水虫ブーツ:朗読:”逆瀬川まりあ”


アタシはアイツみたいにチンチクリンぢゃあないけどハイヒールを履く。
理由なんてない。意味なんてない。
履きたいから履く。
アイツはチンチクリンだからハイヒールなんて無意味。
なのにいつもハイヒールを履いてくる。
だからアタシもハーヒールを履く。
理由なんてない。意味なんてない。
履きたいから履く。
アイツはチンチクリンだからハイヒールを履いて精一杯無理してる。
アタシはアイツみたいにハイヒールを履く理由など無いところが格好いい。
アイツはハイヒールを履いてもチンチクリンのまま。
だからハイヒールを履くのにも理由がいる。
ハイヒールを履くのに理由の無いアタシの方が格好いい。断然。

アタシのアイツみたいに冷え性ぢゃあないけどブーツを履く。
理由なんてない。意味なんてない。
履きたいから履く。
夏だろうが冬だろうが梅雨だろうがブーツを履く。
理由なんてない。意味なんてない。
履きたいからブーツを履く。
アイツは真冬しかブーツを履かない。
アイツはブーツを履くのに理由が必要。。
だからアタシは年中ブーツを履く。
理由なんてない。意味なんてない。
履きたいから履く。
アイツは冷え性だからブーツを履いて精一杯無理してる。
アタシはアイツみたいにブーツを履く理由など無いところが格好いい。
アイツはブーツを履いても冷え性のまま。
だからブーツを履くのにも理由がいる。
ブーツを履くのに理由の無いアタシの方が格好いい。断然。

だから水虫だって格好いい。



*写真と本文はあまり関係ありません。
 別嬪さん揃いだったので顔を隠す必要もないのですが。
 また別に隠し撮りではありません。
 堂々とカメラを構えて撮りました。
 彼女達もケータイでこちらの写真を撮ってカレシとかに送っているのかもしれません。