毒盗綿棒:復刻版:「朝子の朝」:1ページから9ページまで紛失:以下は10ページから:
「今年は車だからな」
「そう、去年は電車でその前はずっと自転車だったから」
「歴史ね」
「そう、ずっと来たいね、夏になるとさ」
「ところでヒーローは」
「憶えていたの。死んだの」
「死んだ」
「そう、5月に初めて帰って来た日に・・・、かなり体は弱っていて、4月頃から段々と」
「帰って来るのを待っていたんだな」
「そうかなぁ、私が帰ってこなかったら、まだ生きていたかもしれないのに・・・・・・」
「苦しいだけだよ」
「そうねえ、でも長生きしたわ、4歳の時からよ」
「で、もう飼わないの」
「結婚でもすればまた、しばらくはね」
「ぼく、犬好きだ」
「うん」
ゆるい蛇行の連続を滑らしていたが、少し大げさに、左右にハンドルを切った。
「はっきりと言うようになって、止めてやるから、彼女の所へ行きな」
言い終わらぬ内に動から静へと重力の変化があった。左腕でドアを開けそのまま幾を磯の薫る道端に押し出した。幾は応えるように後ろの座席、朝子の隣へ滑り込んだ。アスファルトに焼けたゴムの匂いを残して急発進した。
「ほら、変わっているだろう、変わったというより本来に戻ったというべきか」
「どういう事、それは」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
互いにわかり切っている裏の会話で場つなぎの為の会話だったが、朝子にもわかる会話というので普通ではないことだった。またそれが奇妙にも笑いが含まれてくるように感じた。
「ふふふ、ははは」
「そうだ、もっと新鮮な話をしようか」
「うん」
朝子が脚本通りのようなうなずきを見せたので、一層新鮮という言葉が浮いた。
「そう、岩井が死んだんだ、最近」
「岩井が、そうかあっけないな」
「それにダズが同棲しているって」
「紐だろ紐」
「よくわかるな、そう」
「歌舞伎町だろ」
「知っているの」
「直感と想像さ、大体そんなもんだと思っていたけれどさ、実行力あるよ」
「実行力」と朝子が不思議そうに聞いた。
「そう、ぼくが考えたとうおりに実行したからさ」
「実行力ねェ」
幾も表現に焦点が行ってしまったようだ。
「まぁ、話は後で、それより二人で話してくれ聞こえないようにさ、もう少しだから飛ばすから」
朝子と幾は実行力という言葉を感じながら、それを実行していった。一方ピアッツアはかなりの速度で真夏とはいえ、まだ頂点に達していない光の中を滑走するという表現では形容したりないが、それくらい快適かつ高速で、そろそろ上下左右に激しくなってきた、海岸道路を抜けて行った。
「もう着く、かなり暑くなってきたからおもしろい」
「燃えるのね」
朝子がめずらしく予定外に喋ったので返せなかった。すると幾がいかにも暑くなってきたという感じで
「ぼくと正反対だ、暑いのはばてる」
「じゃ、もうばてたか」
「いや、まーだこれから」
バック・ミラーには幾の口元を見て微笑んでいる朝子の顔があった。
海岸道路を少しそれて下る。一つ小山を抜けると、あまり高くはないが、横に広い感じの真っ白い一見別荘風で、あまり商売用に作られたという感じがしないホテルがあって。地理的に見て崖っぷちに建ててあるのに、何故かだだっ広い駐車場があった。そこの一番端に車を止めた。
第一声、朝子が
「高そうね、私の家に泊まったらよかったのにね」
「近い内にそうなるだろう」とエンジンを切って第二声。
「近くね」と幾が第三声。
個人客にしては、大層派手な歓迎を受けた。面倒な挨拶は全て朝子が要領よく済ませ、部屋のキーを二つ受け取ると、一つを幾に渡した。
「あれっ、別か、朝ちゃんはどうするの」
「白々しい事、聞くなよ、幾と一緒に決まってるじゃないか、人のセンスを疑ってはいけないな」
「わかった、サンク」と、幾は少し照れた。
「朝ちゃん、皆でテニスしよう」とエレベーターに向かうスカイブルーのカーペットのい上で言った。
「テニス・・・・・・するする、シングルス?」
「当然、ダブルス」
「後、一人はどうするの」と朝子が少し首を傾けていった。
「まぁ、お楽しみ」
8人乗りのエレベーターに3人だけで・・・。
「喉が乾いた何か飲もう」と幾がいつものように、呼びかけた。
「テニスしてからだ、幾ももう少し我慢してくれ」といつものように強引に。
朝子と幾が泳げる姿の上におそろいのTシャツを着て、ラリーの練習をしている。硬球の快い音が山の海の面を切り開いたコートに響いた。他に誰もいない。
「よう」と、声とその手には赤い無地のビキニをつけた、朝子よりは肉づきの良い、一見二十歳前半に見える、話によると同い年という女の子の手がひかれてあった。
「さあ、試合をしよう」といって、一時間30分、下手なテニス同好会よりは遥かに高度なラリーの応酬が続いた。
幾が打ち返した割合スピードのある球を、両腕でフルスイングした。ボールは快音を残し大きな孤を描きながら崖下へ消えた。
「さあこれでテニスは終わり。朝ちゃんシャワー浴びてきたら・・・いい物あげるから。また痩せるけれど水分は取らないように」
「うん」と朝子は理由はわからないのに、悪い事ではないと感じ素直にシャワー・ルームの方へと向かった。
「おい、幾よ、朝ちゃん出てきたら、あれを飲ましてやればいいよ、大河の自然水さ」と白木のベンチを指した。
「ぼくは、この娘とプールに行ってくる」
再び手を引いてプールの方へと向かう。
しばらくして、幾の前へ熱い体に冷たくはないシャワーを浴びて少し上気しピンク色の頬をした朝子が出てきた。
「あれっ、一人どこへ行ったの」
「二人で泳ぎに行った」
「プールへ行けば浴びる事はなかったみたい」
「そうじゃないんだ、喉が乾いているだろう、とても」
「うん」
「飲もう、紀ノ川の自然水だって」と3リッター入る機能的に作られて、マンハッタンと書かれた異邦製の円筒を持ち、後ろに回していた手を前に掲げた。
「重い重い、・・・・・・飲もう、飲もう」
「そういう事だったの、わざわざ・・・・・・センスねェ・・・」
「ね」
二人は一気に0.5リッターのサイドボトルのそれを飲み干し、同時に
「おいしい」と溜息をついた。
3リッターはすぐに空になった。
「朝ちゃん、ぼくもシャワー浴びてくるから」と幾は少し元気になって腰を上げた。
朝子は「いってらっしゃい」と心の中でつぶやいた。
ディナーは軽い生演奏を聞きながら、海と崖を見下ろし、夕陽がオレンジそのもので、ザ・リゾートという感じが一杯のものであった。
さき程の赤いビキニの女の子がもう二人の女の友達を連れての6人と、広すぎるガーデンに老夫婦、中年夫婦が、寂しくない程度にあちこちに点在していた。全て大人の雰囲気で、どこかの安くて子供の無作法が横行しているようなホテルとは何口かは違っている。
朝子の反対にお礼をいいたくなるような、感激の辞を受けた。そして6人は色々と紹介し合ったりした。
やがていい時間になって
「ぼくは美女3人に囲まれて、幾は朝ちゃんとな、じゃ朝ちゃん朝食まで、おやすみ」と3人の女の子達と席を立ち、互い互いに、「おやすみ」とだけ言葉を交わし、朝子よりははるかにウエイトがある彼女達と地下のバーへと向かった。
朝、外はもうかなりの温度だが潮風を受けるので人工芝は心地良かった。3人はそれに寝転んだ。
「また、暑くなりそうだな」
「熱かった、熱かった」
「そうよ熱かったわ、まだまだ熱くなるわよ・・・・・・・朝子の朝だもん」
潮の薫りがいっそう朝子の朝を飾った。
こんな風景に、さりげなくさらば、といえるだろうか?
***1984.5.21
「さりげなく、さらばといいたい今」より